story012017.03.02 M様
“足りないもの”ではなく、“自信の数”を数えよう。
※効果には個人差があります。体験談は個人の感想です。
※写真はイメージです。
突然の告知
「残念ですが、乳がんが見つかりました。かなり進行していますので、できるだけ早く切除した方がいいでしょう。」
それは、忘れもしない2006年6月、私が39歳の時のことでした。
二人の娘の子育てをしながら、私はずっと働き続けてきました。
30代半ばにさしかかり、ようやく自分のために少しお金を使える余裕ができてきた頃、ふと目にしたのがエルセーヌのチラシ。
「脱毛」という文字が目を引きました。
若い頃からの夢を、今こそ実現してみようかしら——。
35歳の私は、遠い日の憧れにも似た気持ちでエルセーヌを訪れました。
エルセーヌの日々
気軽にノースリーブを着て、もっとオシャレを楽しみたい。
そんなささやかな私の願いは、月に一度エルセーヌに通ううちに、着々とかなえられていきました。
小さな変化だったかもしれません。でも、そこから私が得たのは予想以上に大きな自信でした。
顔見知りのスタッフさんも増え、やがて仲良くなったスタッフさんとはいろいろな話をするようになっていきました。
会社の定期健診で脂肪肝の数値について注意を受けた時、話を聞いてもらったのも、そんな仲良しのスタッフさんの一人でした。
30代半ばといえば体型が変わり始めるのを実感する時期。
それまでは自分でなんとかコントロールできていた“50kgの壁”がなかなか切れなくなっていたのも、この頃のことです。
「M様、ボディコースを受けてみませんか? 今のM様のお悩みにお応えできると思いますよ。」
それも、いいかもしれない。
私はボディコースを受けることにしました。
立ちはだかっていた“50kgの壁”を切るのに、それほど時間はかからなかったと思います。むしろ、あまりにもあっけなく壁を越えられたことが驚きでした。密かに悩んでいた二重アゴもいつのまにかすっきりと消え、注意を受けていた脂肪肝も、翌年の定期健診では正常値に戻っていました。
こんなにはっきり結果が出るんだ!
トリートメントを受けるごとに、より美しくより健康的に自分がますます輝きを増していく実感は、それまで感じたことのない喜びでした。私はまさに美と健康を謳歌していたのです。
そう。あの日までは・・・。
——あの日。
思いっきり頭を殴りつけられるように、私に襲いかかった突然の乳がん告知・・・。
「えっ? 何の話? 誰のこと? 意味がわからない・・・」
目の前の光景が突然ぐるぐると回り出したような感覚。
それから手術までのことは、あまりよく覚えていません。
娘たちの前では気丈に振る舞っていたと思いますが、一人になると涙があふれて止まらなくなり、泣いてばかりいました。
「誰にも会いたくない。何もしたくない・・・。」
私は一人、涙の淵に沈み込んでしまったのです。
告白
それまで週に2日は必ず通っていたエルセーヌにも足が向かなくなっていました。
お誘いの電話をいただいてもあれこれと言い訳をして顔を出さない私を、スタッフの皆さんがどれだけ心配してくださったことか。
それでも、苦しみを一人で抱え込んでいた私は、どうしても本当の理由を言うことができませんでした。
店長のYさんをはじめ、スタッフの皆さんは、その後も折に触れては連絡をくださいました。
「お元気ですか? M様にお会いできないと淋しくて・・・」
「何でもおっしゃってください。ご不満も含めて、私たち、一生懸命お応えしますから!」
曖昧な理由でごまかし続けてきた私でしたが、真心のこもったあたたかいご連絡を受け続けるにつれ、もうこれ以上、隠していてはいけないと思いました。
夏のまぶしい日差しをレースのカーテン越しに眺めながら、店長のYさんと電話で何気ないおしゃべりをするうち、私はついに心を決めました。
本当のことを言おう——。
「あのね、実は、私・・・」
受話器の向こう側で、Yさんがハッと息を飲むのがわかりました。
——長い長い沈黙。
そうですよね。次に何と言ったらいいのかわかりませんよね。Yさんも、そして私も。
悲しみを乗り越えて
2006年、39歳の空。
私は乳房全摘手術を受けました。手術は無事、成功。術後の経過も良く、約2週間後には退院し、治療の日々が始まりました。
傷あとは少しずつ回復していきましたが、乳房を失ったことで心にぽっかりと空いてしまった大きな空洞は、なかなか癒えることはありませんでした。
「私には、女性として足りないものがある・・・」
そんな思いがいつもどこかに居座っていて、私の心に暗い影を落としていました。
半年ほどの時が流れ、ちょうど治療が終わった頃だったと思います。
電話のベルで受話器を取ると、久し振りに聞く明るくきびきびとした声。
店長のYさんでした。
「いかがですか? フェイシャルだけでもいらっしゃいませんか? 私たちみんな、M様のことをお待ちしているんですよ!」
「まだ胸に痛みが残っているの。それに、やっぱり怖い・・・」
「大丈夫です! 私が責任を持って担当いたしますから!」
その自信に満ちたあたたかな声に背中を押され、私は久々に家を出て、エルセーヌに向かいました。
最後に訪ねた初夏の日から、季節は早春へとすっかり変わっていました。
着替えたガウンの胸もとが決してはだけないように紐をかたくかたく結び、フェイシャルルームに入っていったのを思い出します。
それが、私にとってエルセーヌ第2章の始まりの日でした。
自信の数を数えよう
その日から、私は再びエルセーヌに通い始めました。
受けるのはフェイシャルだけ。
でも、トリートメントを通して心までほぐされていくようなそのひとときは、私にとって至福の時間でした。
心地よい、うれしい、楽しみ・・・。しばらく忘れていたそんなプラスの感覚が、私の中でゆっくりとよみがえっていったのです。
数ヵ月後——。
「M様、このままボディのチケットでフェイシャルを続けていただいても構わないのですが、もったいなくありませんか?
私がつきっきりで担当いたしますから、思い切ってボディコース、受けてみませんか?」
それは、スタッフのTさんからのさりげない一言でした。
本当にさりげない一言。
でも、多分、トリートメントを通してゆっくりとゆっくりと私の心をほぐし、私が自分を取り戻すまで待っていてくれたからこそ、言えた一言。
今だから、それがわかります。
思いがけない乳がん告知を受けたあの日から10年。今年の検診も、無事にパスしました。
そして、相変わらずエルセーヌは、私にとって生活の一部です。ボディに磨きをかけるのはもちろん、心のケアにも欠かせない存在。だから、大げさではなく、人生の一部と言ってもいいかもしれません。
スタッフさんに仕事の愚痴を聞いてもらったり、時には人生の先輩として私が相談にのることもあったり、落ち込んでいても、ここに来るといつのまにか元気になってしまう。エルセーヌでのおしゃべりタイムが、今までどれだけ私のメンタルを支えてくれたかわかりません。
こんな不思議な関係、ほかのどこを探しても見つけられませんよね。
二人の娘たちもすっかり成長し、ボディラインを気にする年頃になりました。でも、一番スマートなのは私だと、自信を持って言えます! よく三人で写真を撮ります。この年齢になっても娘たちが喜んで一緒に写真を撮りたがるのは、エルセーヌで心も身体も若々しく磨き続けているおかげですよね、きっと。
両方の乳房を摘出し、再建手術をしなかった私には、女性として足りないものがあると思い込んでいた時もありました。
でも、足りないものは、もう数えない。
私には、いくつになっても細く引きしまった脚も、しなやかな腕もある。
私にいっぱい自信をくれて、ありがとう!
本物の自信を与えてくれるのは、宝石でも服でもなく、自分自身から発する輝きだと、私は思います。
だからこそ、もっとウエストを引きしめたいし、肌のハリだってキープしたい。
これからも、一つずつ増えていく自信を数えて生きていこうと思います。
愛しい私のボディへ。
今日からもっともっと磨きをかけていくから、よろしくね!
後日談
M様は、2016年12月、エルセーヌで半年に一度行われる変身コンテスト「Back to the future」で、念願の入賞を果たされました。しかも、この1年、特に力を入れてこられた「ウエスト賞」を受賞。表彰式で舞台に上がったM様は、美しい脚のラインもMr.エルから褒められて一層うれしかったと、輝くような笑顔で話してくださいました。