story132019.10.10 M・I様
一流テーマパークのダンサーに!夢を叶えた、19歳の闘い。
※効果には個人差があります。体験談は個人の感想です。
※写真はイメージです。
私、“夢の国”で踊るダンサーになる!
そう決めたのは、小学校3年生のときでした。
小さい頃から習っていたバレエのレッスンがつらくてたまらないときも、
そのテーマパークのパレードを見ると、心から幸せになれました。
そんな喜びを、私も誰かに伝える側の人になりたい……!
幼い夢は覚めることなく、私は10代のすべてをかけて、その夢に取り組みました。
やがて訪れたチャンス、そして挫折……
人生で初めての挫折を乗り越えさせてくれたのは、ある意外な方法でした。
私は最強の味方を見つけ、思い描いていた夢を手に入れるのです。
さあ、私の“夢と冒険の物語”の、はじまりはじまり———。
夢の国
初めてそのテーマパークに行った日のことを、実は、私は覚えていません。
物心がつく前から、そこは私にとって、幸せで居心地が良く、心躍る特別な場所でした。
世界的に有名なそのテーマパークがあるのは、私の地元。
12月生まれの私にとって、クリスマスの装飾でキラキラと輝くその場所で家族そろって誕生日を祝うのが、年に一度の大イベントでした。
おとぎ話のお城を背景に立つ巨大なクリスマスツリーに迎えられ、アトラクションに乗って不思議な世界を回ったり、甘いお菓子を口いっぱいに頬張ったり……。うれしくて楽しくてたまらない一日の中でも、特に私が楽しみにしていたのがパレードでした。
にぎやかな音楽とともにやってくる豪華なフロートの圧倒的な迫力。目の前で踊る大好きなキャラクター達。そしてダンサーのお兄さん、お姉さん達とのハイタッチ————。
幼い頃は今と違って恥ずかしがり屋で決してノリがいいとは言えなかった私でさえ、自然と笑顔になり、気がつくと思いっきり手拍子をしながら、誰よりも楽しくリズムに乗っていました。
あぁ、まるで夢みたい!
私、ずーっとここにいたい!
ここで、あのキャラクターやお姉さん達と一緒に踊って、みんなを幸せにしたい!
年に一度訪ねる、それはまさに私にとって“夢の国”でした。
決心
子どもの頃からのもう一つの思い出は、バレエ教室です。
多分、かわいい衣装に憧れて、「私もこんなのが着たい!」と思ったのでしょう。5歳の時に、自分から習いたいと母にせがんだことを覚えています。
子どもながらに一生懸命レッスンに励みました。でも、先生は厳しかった。柔軟レッスンの痛みに耐え、何回踊ってもダメ出しされ、つらくてつらくて私は何回も「今日こそやめようか」と思い悩みました。
でも、いざとなると、「今やめたら、一生懸命お稽古してきたことが全部無駄になっちゃう。何回も何回も練習して、やっとできるようになったいろんなこと全部……。」そんな声が聞こえてくるような気がして、どうしても踏み切れません。
私がフラフラした気持ちでいることに、母は気づいていました。
「Mちゃんは、これからもバレエを続けて、それでどうなりたいの? よく考えて、自分でちゃんと目標が立てられないようなら、バレエなんてやめちゃいなさい!」
ある日、母からピシッと言われてしまったのです。
「——— 目標? 私のなりたいものって、何だろう? 大人になっても、ずっとやりたいこと、それは……」
真剣に考える私の頭に浮かんだイメージは、ただひとつ。
あの“夢の国”で、私を、そしてすべての人を笑顔にしてくれるパレードでした。
「決めた! 私、“夢の国”で踊るダンサーになる! そうして、みんなを幸せにする! だから、バレエは絶対にやめない!」
小学校3年生、まだ10歳にもならない私の、それは一大決心でした。
夢のために
目標がはっきり決まったら、もう迷うことはありません。私は本気でバレエに取り組むようになりました。レッスンがどんなにつらくても目標のためなら平気だったし、もっともっと頑張ることができました。
小学校の高学年になると、お友達同士で“夢の国”に行くことも増えました。そのために、家ではお手伝いをしてお小遣いを貯めました。お風呂掃除、洗濯物たたみ、どんなお手伝いも1週間続けたらお小遣いがもらえる決まりでした。それで年に5、6回は“夢の国”に通ったでしょうか。ただ遊びに行くのではなく、その頃には勉強のためという気持ちでした。
いくつになっても、私の目標は変わることはありませんでした。
高校はダンス専攻コースのある学校へ。私は、より自分を高めようと様々なコンクールに挑戦しました。目標はただひとつ、“夢の国”のダンサーになること。すべては、将来受けることになるテーマパークのオーディションを想定し、自信をつけるためのものでした。
そして高校3年生になり、私はようやくオーディションを受けられる年齢を迎えました。
挫折
オーディションの審査員席には、驚いたことに、私の知っている先生も座っていました。しかも、2人も。私は学校とは別に、高1のときからテーマパークダンスを習いに東京のスタジオに通っていたのですが、その年はそこの先生方が審査員に選ばれていたのです。
1次審査、クロスフロア試験。ダンスの技術だけでなく、笑顔や感情表現力、踊りのキレなどがチェックされます。1次審査で人数が半分に絞られ、合格者は後日、2次審査へ。さらに人数が絞り込まれます。そして9月。1次、2次の審査をパスした私は、最終面接の試験を受けました。
子どもの頃からの夢が、もうすぐ叶うかもしれない!
いや、ダメかもしれない……
毎日ドキドキしながら待ちわびた結果通知。でも、届いたのは残念な知らせでした。
しばらくの間、何も手に着かず、本当に落ち込みました。
「……落ち込んでいても始まらない。」
私は、審査員をされていた先生のもとを訪ねました。敗因を尋ねようと思ったのです。
「ダンスも表情もよかったですよ。合格した人達にも決して負けてなかった。
落ちた原因を探るとしたら……、プロポーションにあるのかもしれませんね。」
ショックでした。これがショービジネスの世界だ、と思いました。完璧を求められるのは、ダンスの技術や表現力だけじゃない。外観にも、誰もが認めるようなバランスの取れた美しさが必要なんだ————。
昔から下半身が太いのがコンプレックスだったけど、どんなに自分でダイエットしても細くはならなかった。ニキビもひどくて、ずっと皮膚科に通っていたけど治らなかった。それと……、私、もう2年もの間、生理が来ていない……。
実は、高校生になってから尋常でないダイエットをしていました。ダンス専攻クラスでは、ダイエットは日常茶飯事。炭水化物を抜いたり、サラダだけで食事を済ませ、さらに、空腹のときはひたすら身体を動かします。動くと一時的に空腹感が消えるんです。それでもお腹が空いたら、水を飲みます。テレビでモデルさんが1日2リットル水を飲むと言っているのを聞いて、私も真似をしました。でも、身体は逆にむくんでむくんで……。一度は痩せましたが、体調は崩すし、肌は荒れるし、生理は来なくなるし、挙げ句に体重だけはあっという間にリバウンド———。
そんな私のことを、母はずっと心配していました。でも、その母に何も言わせないほど、私は一途で頑固でした。
変わりたい!
翌春、高校を卒業した私は、アルバイトをしながらダンスのレッスンを続ける道を選びました。どうしても夢を叶えたかったから……。すべての時間をレッスンに費やす中、ずっと考えていたことがありました。
もうこれ以上、自己流のダイエットでは無理。誰から見ても美しい身体を作るには、やっぱりプロの手を借りないと……。
私は、スマホのエステ広告に目が行くようになりました。そして、たまたま見たあるホームページに、目が釘付けになります。そこには、いろいろな人のビフォア/アフター写真が並んでいました。
「すごい! みんな、こんなに変わってる。ただ痩せたんじゃない、こんなにキレイになってる! それにここは、やってることもよそとは何だか違う。
……行ってみたい。1回でもいいから! ここでなら私、変われる気がする!」
格安のエステ体験コースがありましたが、二十歳未満の私が申し込むことはできません。私は、母のもとに文字通り駆け寄りました。
「ねえ、ママ! 私、エルセーヌってエステに行ってみたい! ここ、スゴイの! お願い!」
突然の真剣な訴えに、母は驚いていました。まだ一度も体験したことはありませんでしたが、私はホームページで得た情報を並べて、エルセーヌはとにかくスゴイと猛アピール。
「1回でマイナス8cmだって。ご飯もちゃんと食べるんだって。ねえ、見て! みんな、本当にキレイになってるの。私もやってみたい! お願い!」
母の心を動かしたのは、この言葉でした。
「ママ、ここに行ったら私、また生理だって来るかもしれない……!」
私は既にその頃、婦人科で「最終的にはピルを飲むしかないですね」と言われていたのです。
体験
なんとか説得した母を伴って、私はエルセーヌに向かいました。体験コースで通されたのは、大きな部屋。そこに施術台が並んでいて、みんなが一斉にトリートメントを受けています。
見た瞬間、「あっ、これいいな!」と思いました。エステというと個室で優しくトリートメントを受けるイメージでしたが、それだと自分に甘えてしまいそうで、本当に痩せられるか逆に不安だと思うんです。でも、ここはすべてがオープン。それに、エステティシャンの人達の施術には、私が想像していた以上の力強さがありました。
「これならみんなで頑張れる。ここでならきっと痩せられる!」そう思いました。
エルセーヌ・K店長の記憶
初めて来られたときのM様は、まだ10代。ふわっとした雰囲気で、最初のうちは受け答えもお母様が代わってされていたのを覚えています。でも、体験コースを終えて着替えから戻られたM様は、明らかに雰囲気が違っていました。「どうしてもエルセーヌに通いたい!」という強い意志が、その眼差しにあふれていました。
ダンスで鍛えられた筋肉質のお身体には、エルセーヌのマッサージはかなり痛かったのではないかと思うのですが、M様はお母様に、「ホントにすごいの! こんなトリートメント、自分ではもちろん、ほかでも絶対に受けられないから!」と一生懸命……。
でも、10代ではご自身で費用をまかなうのはなかなかむずかしいことです。M様はお母様に「成人式の着物、新しいのを買わなくていいから。おばあちゃんの昔のを着るから。だからお願い!」と必死で訴えておられました。
その日は家族会議をされるということで、一旦、お帰りになりました。
家に帰ると、父の帰宅を待って、兄まで巻き込んで家族会議になりました。
帰る道々説得した母は、「ご飯も食べるようになるんだったら」、「生理も来るかもしれないのなら」と、許す方向に傾いてくれていたのですが、問題は父でした。
「なんでそんなにお金がかかるんだ」と、なかなか理解してくれません。
子どもの頃からバレエを習い、高校も私立のダンス専攻科。学校以外のダンススクールにも通い、それまで両親にはどれだけ経済的な負担をかけてきたことか。高校を卒業し19歳になった今だって、アルバイトをしながらレッスンを掛け持ちする毎日で、家にお金を入れることもできない……。
「でも、自分で決心した子どもの頃からの夢を叶えるには、体型から変えないと無理なの。それで少しでも可能性が上がるのなら、やってみたいの。人生に悔いを残したくないから! かかったお金は、自分で働いて必ず返します。……だから、パパ、お願い! お願いします!」
————ついに、父からOKが出ました。
変化
その時の私の体型は、身長160cm、体重56kg。これでも、自己流ダイエットでぎりぎりまで落とした結果でした。
オーディションの時期を考え、エルセーヌで相談し、まずは3ヵ月で体重を落とすことにしました。特に、どうしても落ちなかった太ももとふくらはぎのサイズをどこまで落とせるか。4回に1度はサロンで全身採寸と水着での写真撮影をして、変化をチェックしていきます。
しかし、4回目を待つことなく、結果が出はじめていることに私はすぐに気づきました。待ちきれない私は毎晩、自分で鏡に映した全身写真を撮っていたのです。写真の私の脚は、日に日に細くなっていました。
エルセーヌでは毎回、「1日3食、バランスの良い食事をしてください」と耳にタコができるほど言われます。はじめのうちは食べるのが怖かったけれど、食べないとまた言われてしまうから……。ところが、食べられるようになってきたら、むしろ体重が減っていくんです。無理して食事制限をしていたときは、つらくて、苦しくて、すぐにリバウンドしたけど、今はなんという充実感! しかも、食べているのに痩せるなんて!
驚いたのは、それだけではありません。一つは、悩み続けてきた背中のニキビです。無理なダイエットで食事を抜くことが増えた中学生の頃から、背中にひどいニキビができ、どんどん増えていました。
入会して2ヵ月、初夏を迎え背中の開いたブラウスに袖を通しながら、私は憂鬱でした。
「あぁ、またこの季節。きたない背中を出したくないなぁ……。」
悲しい気持ちでチラッと鏡を見た私は、思わず大きな声を上げていました。
「あれっ、無い! ニキビが全部無くなってる! うそ〜〜っ!」
————そういえば、エルセーヌに通い始めたばかりの頃、背中のトリートメントに入ったエステティシャンさんがこう言っていたっけ。
「エルセーヌの施術はすべて、オーナーであるMr.エルが、血のめぐりを良くして代謝を改善することを基本に組み立てているんです。血のめぐりがよくなれば、このニキビもきっとよくなりますよ」。
でも、まさか本当に無くなるなんて! しかも、わずか2ヵ月で。
そしてもう一つ、心から本当に驚いたこと。それは、入会して1回目のトリートメントを受けた後、生理が来たことでした。お医者さんにも見放されかけていたというのに———! 2ヵ月目も、3ヵ月目も、生理はちゃんとやって来ました。
エルセーヌ・K店長の記憶
久し振りの生理が来たことを、M様はすぐに私たちに知らせてくださいました。でも、本当にうれしかったのは、翌月、また定期的にきちんと生理が来たときです。そのご報告をいただいたときは、思わずM様と手を取り合ってうれし泣きしました。
もう大丈夫。M様のお身体は、順調に健康美へと向かっていますよ————!
痩せるために食べてください、というお願いには、本当に驚かれたご様子でした。あるとき、毎日記録して頂く「お食事ノート」を一緒に見ていたら、「あの……、食べても痩せるんです。なんでですか?」とM様。
「大丈夫ですよ。無駄なカロリーを燃やすのにもエネルギーが必要なんです。正しい食事とトリートメント、そして毎日のホームケアで代謝が良くなれば、余分なカロリーがどんどん燃やせる身体になるんです。それがエルセーヌなんです!」
そうお答えすると、M様は心から安心されたように、「あぁ、よかったー!」とおっしゃいました。
無理な自己流ダイエットで体調を崩してご来店になるお客様は、本当に多いんです。食べると太る。太ると自己嫌悪になって、仕事も人間関係もイヤになる。食事をギリギリまで減らす。生理が止まる。ストレスでドカ食いする————。そういう方が、ここでしっかり変わっていかれます。M様のように。
2度目のオーディション
あれから1年。私は2度目のオーディションに参加していました。
体重を56kgから47kgまで落とし、太もももふくらはぎもすっかり引きしまって体型まで変わった私。1年前は、スタイルの良い人を見ただけで勝てない気がして不安でしたが、今回は自信に満ちあふれ、何ひとつ思い残すことがないくらいベストな自分を出し尽くすことができました。
1次審査、2次審査を順調にパスし迎えた9月、私は最終面接の会場へと向かいました。
去年はここで落ちてしまった……。その真の理由はわからない。でも、先生のアドバイスを受け止め、この半年というもの、レッスンと並行して必死でプロポーションを磨いてきた。やれるだけのことは、やった————。
支えてくれた家族、そして、一緒に闘ってくれたエルセーヌのみんなの顔を思い浮かべると不思議と気持ちが落ち着き、私の心は自信に満たされていました。
————そして、10月。
最終審査の結果通知が届きました。
あんなに自信にあふれていたのに、やっぱり手が震えてしまい、なかなか開封することができません。なんとか封を切り、中からカードを引っ張り出したときは、早まる胸の鼓動に合わせて全身が痛いほどズキズキと脈打っていました。
「————お願い!」
思い切って開いてみると、目に飛び込んできたのは紛れもない「合格」の文字でした。
「やった! 私、合格した! ねえママ、私やったよ!」
すぐに母に電話し、携帯の向こうとこちらで二人一緒に号泣しました。
父にはメールで知らせました。返事はすぐに戻って来ました。
「おめでとう! よく頑張ったね! エルセーヌに行ってよかったよね。」
それは、何よりうれしい言葉でした。
後から知ったことですが、今回は大阪会場も含めおよそ2000名が受験し、最終的に合格したのは約80名だったとのことでした。
もちろん、エルセーヌにもすぐに電話をしました。携帯を握りしめながら、私の脳裏には、一緒に闘ったいくつもの思い出が蘇っていました。
「毎日、必ず3食、ご飯を食べてくださいね。その方が痩せやすくなりますよ。」
「このお背中のニキビも、きっとよくなります。」
「あの……、食べても痩せるんです。なんでですか?」
「大丈夫ですよ。それが、エルセーヌなんです!」
「M様、夢のために、一緒に頑張りましょう!」
……ありがとう! いつも味方でいてくれて。
ありがとう! 私に勇気と自信を与えてくれて。
こんなに健康に、こんなにキレイにしてくれて。
私、子どもの頃のあの日の自分に、今、胸を張ってこう言えます。
「やったよ! 私、その夢を叶えたよ!」って———。
エルセーヌ・K店長の記憶
M様から合格のお知らせを頂いたときは、私、うれしすぎてしゃべれなくなってしまって……、電話の後で泣いてしまいました。
今、M様は、そのテーマパークの大人気ショーに、週に5日は出演されています。相変わらず勉強熱心で、お仕事の後はレッスンに通い、もちろんエルセーヌにも来られています。
お母様から借りられたトリートメントの費用は、約束通りアルバイトできちんとお返しし、今はお給料の中からおうちに生活費も入れていらっしゃるとか。
「毎日、意識の高い仲間に囲まれて、目標を持って学び、仕事ができる私って、本当に幸せ!」そうおっしゃる笑顔は、キラキラと輝いていますよ!
ショービジネスというシビアな世界。夢はまだ始まったばかりです。M様、頑張って! 私たち、いつでも応援していますから!