エルセーヌ

エルセーヌで出会った、真実の物語 Real Story〜Vol.14〜

エルセーヌで出会った、真実の物語 Real Story〜Vol.14〜

story142019.11.20 M・S様

痩せて見出した”本当の私”は、こんなにもポジティブだった!

※効果には個人差があります。体験談は個人の感想です。
※写真はイメージです。

服には体型によって、「着られる服」と「着られない服」があります。

幼い頃、太っていて既製服が入らなかった私は、母に着せられるオーダー服の花柄が大嫌いでした。
でも、黙って着続けるしかありませんでした。
オーダー服だけが私にとって「着られる服」だったからです。

『本当はこんな服、嫌い!』『私が着たいのは、もっと違う服なの!』
そんな自分の本当の気持ちを隠すうちに、いつしかそれを忘れてしまい、私は内気で引っ込み思案な女の子のまま大人になりました。
それが“自分”だと思い込んだまま———。

あれは65歳の誕生日のこと。
何気なく見た鏡の中の自分が、あまりにも老け込んでしまっていることに愕然とし、私はエルセーヌに飛び込みました。

そこで見出したのは、失われた“若さ”を超えるものでした。
私は、65年間ずっと隠し続けてきた「本当の自分」を見出したのです。

今、私は好きなファッションに身を包み、自分に正直に、真っ直ぐ美しく生きている自信があります。
その自信は、思わず「医者いらずね」と笑ってしまうほどの健康があってこそ。

65歳で本当の自分を見出し、美しく生きる自信を見出し、健康の大切さを実感した私は、今、71歳。
長い人生に何が起こったのか、さあ、私の物語を聞いてください。

私の生い立ち

戦後の東京、下町。
私は、手広く商いを営む商家の一人娘として生まれ、両親の愛情を一身に受け、なに不自由なく育ちました。

父は典型的な江戸っ子の道楽者。いつも和装の着流しで、日に三度はお召し替えをするほどの衣装持ち。子ども心にも、「うちのお父さんって、お洒落だな」と思っていました。たまに洋装もするんですが、当時はまだ珍しかった柄物のワイシャツも粋に着こなすような人で、よそのお父さんとは明らかに違うところが気恥ずかしくもあり、それでもやっぱり自慢の父でした。

この父がまた飛び抜けた美食家で、昨日はてんぷら、今日はお寿司、明日はうなぎと、夜な夜な上野や浅草の街を食べ歩くのです。和装のお姉さんが大好きな父でしたから、ひいきの店には元芸者さんがやっているおでん屋さんやとんかつ屋さんもありました。そんな粋なお店のカウンターに着流しの父と並んでちょこんと座り、お相伴に預かるのが、小学生の頃から一人娘である私の特権でした。今でも思い出しますよ。おいしかった、あの店この店のことを。

当然、父はぽっちゃり体型。私の体型も……わかるでしょ? 小学生の頃から4、50kgはあったと思います。

家を守っていたのは母でした。道楽者の父とは対照的に、母はとにかく働き者で、潔癖症に近いくらいのきれい好き。家業の切り盛りから細かな家事まで、遣り手の母がすべてをこなしていました。忙し過ぎてなかなか時間通りに食事の用意ができないこともあり、父と私は自ずと外食に出ていました。

両親にかわいがられ天真爛漫に育った私は、太っていることに何の引け目も負い目も感じることはありませんでした。そんな私の心に暗い影を落とすような経験がありました。小学生の頃、近所の公園で遊んでいたら、ガキ大将の男子に突然、こんな言葉を浴びせられたのです。

「百貫デブ!」

———傷つきました。それまで何の悩みもなく過ごしてきたのが遠い日のできごとのように思えるほど、深く深く傷つきました。

それでも私、食べるのはやめられなかったんですね。そこはやっぱり、父の子だったんです。

もともとおとなしい性格でしたが、その経験を機に、私はますます前に出て行けない引っ込み思案な女の子になってしまいました。

でも思い返してみると、心の中の私は、ただおとなしいだけの女の子ではありませんでした。
当時、既製服が入らず着せられていたオーダー服の花柄が嫌いで、子ども心に「こういうの、着たくない」と思っていましたし、本当は武術や刀剣に興味があって、父の引き出しで見つけたモデルガンをこっそりくるくる回してみたりしていた……。私、本当は男の子っぽい、クールでカッコいいものが好きだったんです。

でも、私なんかがそういうものを好きになっちゃいけないと、心のどこかで本当の自分を封印してしまったのです。「百貫デブ」と言われたあの日から———。

そして、「私は人とは違う、人とは交われない、だから一人でいたいの、私はそれでいいの———。」そんな思いが心を占めるようになっていました。

母からの贈り物———声楽の道へ

自分からは決して前に出ようとしない私のことを心配したのが、母でした。

「商家の娘がこれじゃいけない。人前で歌でも歌えるようになれば性格も変わるかも。」

そう言って、私を近所の歌の教室に連れて行きました。
通い始めてみたら、「この子、意外と才能あるんじゃないの?」と言われ、高校1年生になると本格的に声楽の先生につくことになりました。そこでも、「あなたは歌の道に進むといいわ」と先生に認められ、私は勧められるまま音楽大学の声楽科に進学しました。

声楽家にとって、“身体は楽器”。だから、太っていることはマイナスでないどころか、むしろ誇るべき“強み”でした。

「私、このままでいいんだ、痩せることなんて考えなくていいんだ———!」

高校から大学にかけて、体重はピークの80kgに達していましたが、胸の奥底に隠していたコンプレックスは影を潜め、私は幸せでした。

それでも、内気な性格が変わることはありませんでした。舞台の上で自分を表現することに気後れを感じながらも、根が真面目で努力を惜しまない私は声楽の勉強に励み、卒業後は一年間、ミラノの音楽大学に留学しました。

ミラノでは、見聞きするもの、そして体験することのすべてが美しく、刺激的でした。街も、料理も、ファッションも! 夕飯の後、気軽にオーケストラを聞きに行ったり、お友達が遊びに来れば、ちょっとお隣のフランスやスペイン、ベルギーへと旅に出たり———。親元を離れ、自由な暮らしを満喫し、羽を伸ばしていた私でしたが、ほろ苦い思いも味わいました。海外に出ても、私には人を押しのけてでも前に出るということが、どうしてもできなかったのです。

これは、舞台に上がるべき人間としては致命的でした。大学には、世界の舞台を目指して音楽を勉強しに多くの学生が集まっている。毎日が競争。頭角を現すには、よっぽど気が強くないと無理……。そんな現実と理想のギャップを、身をもって知ったのがミラノでした。

女子校、女子大育ちで内気な私は、ミラノでもボーイフレンドさえ作ることはありませんでした。またしても心配した母によって、26歳になった私は日本へと呼び戻されます。帰国すると、お見合いの席が用意されていました。

相手はスポーツマンで、母の眼鏡にかなった根っからの働き者。「女性は太っている方がおおらかな感じがして好き」だという人でした。初めてのお見合いで出会った主人と結婚してからは、専業主婦ひと筋。一男一女に恵まれ、歌の世界とはすっかり疎遠になりました。家業は夫に任せ、私は家事と子育てをこなし、家庭を大事に暮らしました。主婦には土日も休日もなく、自分のことなど構っている暇はありませんでした。

父からの贈り物———太極拳との出会い

結婚してから10年の月日が過ぎていました。
ある日、ライオンズクラブの会合から帰ってきた父から一冊のパンフレットを手渡されました。

「今日、ゲストで太極拳の先生が来ていたんだ。あれは身体にいいらしいから、やってみたらどうだ。」

父自身は人からすすめられたことを一切やらない人でしたが、私はちょっと興味を持ちました。運動は無理だとずっと思ってきたけれど、太極拳のゆっくりとした動きなら、私にもできるかもしれない。歳を取ったとき、続けていられたらいいかもしれない———。思いきって習ってみることにしました。歌から離れた後、何か自分の世界を持ちたいと思い続けていたので、ちょうどよかったんです。

いざ始めてみると、自分でも意外に思うほど、太極拳は私にしっくりきました。

「あれ? 結構できるかも……。太っているからって、何もかもダメというわけじゃないんだ。」

太極拳の内面的な奥深さにも、すぐに惹きつけられました。感覚を研ぎ澄まし、自分自身と向き合う時間———。あわただしい生活の中で、それは私にとって唯一の静謐なときでした。そして、発表会の機会などに衣装を纏い武具を身につけて行う演舞は、武術好きな私の心をくすぐりました。

そんな中、突然父が倒れました。65歳、脳梗塞でした。長年の美食生活と野菜嫌いが祟ったのに違いありません。身体に重い麻痺が残った父を、母と二人、自宅で介護する生活が始まりました。

寝たきりになっても、父の美食は相変わらずでした。「てんぷらを買ってこい!」とか「今夜はお寿司が食べたい」などは当たり前。好きなものを好きなだけ食べ、そして相変わらずの着道楽。78歳で亡くなるまで、父は、最高にカッコよくお洒落な父を貫き通しました。

13年にわたる介護生活は子育てとも重なり、私は多忙を極めました。それでも、太極拳だけは休みませんでした。35歳で始めてから36年間。太極拳は、今も私の人生の大切な柱の一つです。

65歳からの挑戦

一つ歳下の主人とは、お互いの世界を大事にしあう、よき友人のような関係。二人の子ども達も立派に育ってそれぞれに家庭を築き、私は穏やかで幸せな毎日を送っていました。

それは、65歳の誕生日のこと。
いつものように鏡に映る自分を見た瞬間、私は愕然としました。

「あれ!? 私いつの間に、こんなに老け込んじゃったの!?」

それまで自分は元気でイキイキしているつもりで、何の不安も感じることはありませんでした。70kgに少々欠ける体型は決してスマートとは言えませんが、長年続けている太極拳のおかげで身体を重く感じたことはないし、ふくよかさゆえに肌のシワも少ないはず。それなのに、その日はなぜか突然、鏡に映る自分が別人のように急に老け込んで見えたのです。

誕生日だったせいかしら……。心のどこかにあった「また一つ歳を取ってしまう」という焦りが、鏡の中に今までとは違う自分を映し出して見せたのかもしれません。

「こんなに老けちゃって、どうすればいいの?」と思った次の瞬間、私の頭の中では検索が始まっていました。

「そういえば、そんなお店があったわよね? 看板だけは覚えてる。あそこに行かなくちゃ!」

思い立ったらすぐに行動に移さないと気が済まない私は、翌日、予約も入れずにいきなりそのお店に飛び込んでいました。そのお店、エルセーヌに。

あとから考えると、あの時、よくT店長の予定が空いていたな、と思います。予約を取って出直すことになっても全然おかしくなかったのに。その日、私はそのままT店長のカウンセリングを受けました。

「お顔が老けたという印象は、お顔だけでなく、身体全体からきていますね。身体全体から整えていった方が、結果も早く出ると思いますが……。」

今までまったく美容に関心がなく、エステそのものが初めての経験だった私には、顔のケアにボディからアプローチするというのは意外な提案でした。でも、かえってそれがよかったのかもしれません。初めてのことだからこそ、挑戦してみたいという気持ちが湧いてきたのです。

「よし、T店長の言うとおりにやってみよう。」

その場で心を決めました。こうして私は、エルセーヌに通うことになったのです。

最初はとにかく、わからないことばかり。言われたとおりに通い、サロンでは慣れないトリートメントの痛みをこらえるのが精一杯。でも、「自分を変えようと思ったら、とにかく続けないとダメよね」、「自分を変えるためには、食事を変えるのも、毎日ホームケアをするのも当然のこと。仕方ないわよね」と思って頑張るくらいの常識は、私にもありました。それに私、根が真面目なものですから、一度始めると音を上げるのが嫌なんです。だから、やめなかった。とにかく通い続けたんです。

そうしたら……
「あれ?」と気づくと、なんと3ヵ月で体重が10kg以上落ち、あれだけ痛かった施術もすっかり痛気持ちよく感じられるようになっていました。

太極拳とエルセーヌ!

最初にお試しコースを体験したときから、私は、エルセーヌの施術には太極拳に通じるものがあると感じていました。だから、ほかを試すこともなく、エルセーヌに通うことを決めたのかもしれません。

太極拳で大事なのは、気の流れ。気が流れれば全体が整うという考え方が基本にあります。身体の中心である丹田にすべての気を集め、八方へ向けて放出します。また、全身のツボをさすって気を流します。気が流れて全身をめぐれば、血も全身をめぐります。その流れを、太極拳では背中から全身へ向けて円を描いて表します。それは陰と陽の思想、そして宇宙観へとつながっていきます。

一方、エルセーヌには、O(オー)ラインという考え方があります。全身をつなぐ、めぐりのラインです。エルセーヌに通うようになって自分の身体で感じた全身のめぐり、それは、太極拳の気の流れに通じるものでした。

エルセーヌの施術の一つひとつにも、太極拳との共通性を感じます。例えば、「テンポイント」という施術。相撲の四股をヒントに、足裏に刺激を与えることでこわばった全身の神経をゆるめるものです。最初は痛くて痛くて嫌いだったけど、徐々に身体が変わっていったのか、全身がポカポカして血行がよくなるのを感じるようになりました。もう痛みもありません。

もう一つ挙げると、「レッドライン」。リハビリでも使用される機材を使い、身体を空中に吊った状態にして筋膜をリリースする施術です。経験を積んだエステティシャンが、私の全身のツボや筋肉の付き方を把握して行ってくれます。全身が一つにつながる感じがして、ボディラインがバランスよく整います。

私はエルセーヌと出会うまで一度もエステに行ったことがなかったので知りませんでしたが、エルセーヌの施術は、すべて創業者であるMr.エルが考案したオリジナルとのこと。きっと、東洋医学や太極拳のことも勉強されたのではないかしら。いつかお聞きしてみたいものです。

本当の私

多くの共通性を持ちながらも、太極拳だけやっているときは、体重は変わりませんでした。それが、エルセーヌに通うようになってから、みるみる体重が落ちるようになりました。やはり、この二つには相乗効果があるのかもしれないと私は思っています。

数字となって結果が出るのは、励みになります。毎回、トリートメント後に採寸する数字がどんどん減っていく。すると、今までの服がどんどんゆるくなっていくんです。老化が不安だった顔もイキイキしてくるし、何より、身体が今まで経験したことがないくらい引きしまり、軽くなってくる。それはもう、驚きと感動の日々でした。

ある日私は、それまで素通りしていたブランドのお店にふらりと立ち寄りました。気になったのは、身体のラインがはっきり出る、丈が短めのカチッとしたジャケット。それまでの私だったら、絶対に無理だと手も出さなかったデザイン……。

「これ、着てみたいんだけど、いいかしら?」

臆することなく、自然とそう言えていました。そして、予想は見事に的中したのです。

「似合ってる……!」

若い店員さんに褒められるより先に、私はそのファッションが自分にぴったりとはまっていることがわかりました。サイズだけでなく、雰囲気も、イメージも、すべてが。

「そうよ、これよ! これが、私のしたかったファッションよ! これが、“私”よ!!」

心筋梗塞を乗り越えて

病気と無縁だった私は、かつて健康について気にしたことなどありませんでした。
それが、エルセーヌに通い始めて十数キロ痩せた頃、突然、心筋梗塞の症状に襲われました。65歳……。思えば、父が脳梗塞を患ったのと同じ歳のことでした。

今となっては、小学生の頃からの長い長い美食生活が積み重なり、コレステロールで血管が詰まっていたのではないかと思います。入院して手術となりましたが、おかげさまですぐに退院できました。体重も順調に減っていた頃でしたし、これで体内の悪いものを全部出し切ったと思っています。

お医者様から「もう、何をしても大丈夫ですよ」と言われ、まず、太極拳を再開しました。ゆっくりした動きが病み上がりの私の身体にはぴったりでした。それから2〜3ヵ月して、エルセーヌもフェイシャルから再開。そろそろボディも……というときは、やはり少し勇気が要りました。

「でも、せっかく痩せたんだもの、もう太りたくない! 元には戻りたくない!」

痩せて初めて得た幸福感を手放したくないと、心から思いました。それほどエルセーヌでの変化は劇的で、私は生まれ変わった自分が好きだったのです。再開したてこそ控えめにやってもらっていたボディの施術も、ほどなくいつも通りにできるようになり、体調もすっかり元に戻りました。

スタイリッシュ・ファッション考

あれから6年。私はさらに体重を落とし、71歳の今では身長160cm、体重48kg、ウエスト60cmをキープしています。体調も万全で、術後の年2回の定期検診も全く問題なし。前回などお医者様から「素晴らしい! 完璧ですよ!」と太鼓判を押されました。

「健康って、ありがたい。美しさだって、健康あってこそよね———。」

やはり私の人生にとって、太極拳とエルセーヌは欠かせないものだった。そんな想いが、歳を重ねるほどに強くなっています。

つい先日は、2年振りに帰国した娘のアメリカ人の夫が、私を見るや両手を広げ、「Oh! スタイリッシュ!」と言って褒めてくれました。何を着てたかしら……? いつものような細身のパンツと薄手の革ジャンだったかしら。生粋のニューヨーカーに褒められたんですもの、そりゃ、悪い気はしませんよね。

ファッションに対する考え方も、この6年で随分と変わりました。
以前は、いつも大体フワッとしたチュニックとワイドパンツの組み合せ。柄で個性を出したりしてお洒落に着こなすようにしてはいましたが、自分が本当にしたいファッションではありませんでした。「着られる服」を見つけて着ていただけです。

でも、今は違います。
「何を着るか」は、私にとってとても大事なこと。選ぶ服も以前とはすっかり変わりました。「これが私」と自信を持って言えるような、好きな服、自分が納得した服しか着ません。前の晩に必ず頭の中で「明日はこのインナーにあのパンツを合わせて、帽子はこれね……」とコーディネイトを考えます。翌日、着てみて「あれ? なんだか違う、私らしくない」と思ったら、さっさと脱いで違うコーディネイトに変えます。「やっぱり私、着道楽のお父さんの子だわ」なんて思いながらね。

よく、「ファッションは、その人の中身を表す」と言いますが、中身、つまり“本当の自分”を表すファッションは、その服が着られる身体でないと纏うことはできません。だから私の場合、痩せた今の身体でないと“本当の自分”を表すことはできない、そう思っているんです。

以前の自分とは明らかに違う、“本当の自分”。
それは、“取り戻した”のではなく、“見出した”もの。
エルセーヌと出会うことで、私は初めて自分自身を解放し、“本当の自分”を見出したのです。

ポジティブに、美しく生きる

71歳の今でも、私はまだまだ新しい自分を見出せると思っています。若いときは、ファッションとは「周りの人を意識し、自分を誰かにアピールするためのもの」だと思っていました。でも、エルセーヌで体重を落とし、プロポーションを整え、年齢を重ねた今では、ファッションとは「自分の思う“本当の自分”を表現するもの、そして、自らの美意識であり美学」だと思っています。

今、私が自分の「ファッション」で表しているのは、健康的に、元気に美しく、ポジティブに生る姿です。そりゃ、「お洒落ね。素敵!」って言われればうれしいけど、人からの評価はあくまでオマケでついてくるものです。

これからも、少しでも長く今の状態を維持したいと願っています。心身共に、どこまで健康的にポジティブに、見た目も生き方も美しさをキープできるか。それを実現するため私に欠かせないのが、太極拳であり、エルセーヌなんです。

さあ、私、どこまで行けるかしら?
毎日が挑戦ね。
がんばるわよ!

担当・Oさんからのメッセージ
S様が来られると、いつもそのファッションに見とれてしまいます。洒落たお帽子に細身のパンツ、ラインの出るインナー。私と趣味が合うこともあって、「素敵だな、私もこんなふうに軽やかに、元気に、楽しくお洒落に過ごせたらいいな」と思ってしまいます。
私たちエステティシャンはT店長から「お客様はどなたも、“美に対する秘めた想い”があるもの。それは、20代でも50代でも80代でも変わらないの。女性の美に対する想いに年齢は関係ないの」と教えられてきました。そんなエルセーヌに来ていただいたからこそ、S様の体型も肌も、そして意識もポジティブに変わられたのではないでしょうか。
いつも前向きに、ご自分が良いと思ったものは何年も何十年もコツコツと続けられる努力家のS様。ご趣味の太極拳のように、エルセーヌともどうぞ長くお付き合いください。美と健康のお手伝いをさせていただきながら、人生の先輩であるS様のポジティブな姿勢をこれからも見習っていきたいと思っています。

⇒ お客様のストーリー 一覧

お客さま物語TOPエルセーヌトップ

  1. エルセーヌトップ
  2. エルセーヌで出会った、真実の物語 Real Story
  3. 痩せて見出した”本当の私”は、こんなにもポジティブだった!